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遅刻が怖くて2時間前行動。それでも焦り、苛立ち、自分にうんざりしていた会社員時代の話

僕はかつて一般企業で正社員として働いていた。

色々なことに辛くなって現在はフリーランスになったのだが、辛くなったことの1つに、遅刻に対する恐怖に耐えることがある。

僕は会社に遅刻することに、異常なまでに恐怖心を抱いていたのだ。

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遅刻するのが怖かった

フレックスタイム制、裁量労働制といった勤務形態でない限り、会社には定時があり、その時間を守らなければいけない。

その時間に遅れることを「遅刻」といい、やむを得ない事情がなければ遅刻はしてはいけないことになっている。

「遅刻をしてはいけない」というルールは、人が人を信頼し、会社が会社としてうまく運営し、仕事を回していくうえでも、必要不可欠なルールだ。自分が信頼されるためにも、そのルールは極力守るほうが、自分にとっても得だ。

しかしながら「遅刻は絶対にしてはいけない」という強迫観念のようなものを僕は持ってしまった。

遅刻の恐怖は前日の夜から僕を襲う。「アラームがならなったらどうしよう」という不安から、セットしたアラームの時間が正しいか、サイレントになっていないかを何度も確認した。

電車が遅れるかもしれない、止まるかもしれない、途中で下痢になるかもしれないといった、色々なリスクを想定して、早めに行動するようになった。いつのまにか2時間前行動になっていたのだ。

遅刻の恐怖で余裕がなくなっていった

早めに行動したからといって余裕が増えたわけではない。2時間前行動でも、僕はいつも焦っている。早めに家を出ているのに電車が止まると不安になる。30分寝坊するととても焦る。

毎日焦っているから、改札やコンビニでまごついてる人をみるとイライラする。目の前を歩く人が遅いとイライラする。

翌日の出勤の心配がない金曜日と土曜日は、心配性な自分にうんざりしていた。

どんどん余裕がない人間になっていた。

勤めていた会社はホワイト企業で、一度や二度遅刻したからといって怒れたり、減給があったりするわけではない。たとえ無断で遅刻したとしても、やむを得ない理由があれば許してくれる。寝坊だとしても一度や二度であれば、笑って許してくれるだろう。

それでも僕は遅刻に恐怖し、焦り、イライラし、自分にうんざりしていた。

遅刻が怖くて2時間前行動、そんな生活を2年間続けた。

2年も続ければ慣れるのではないか、と思うかもしれないが、慣れることはなかった。相変わらず、前日から不安で、朝から会社につくまで焦り、イライラしていた。

毎日、肉体的にも精神的にも疲れていた。

会社員を2年続けたある日、色々な偶然があってフリーランスになった。

仕事締め切りやメールの返信などに追われることはあるが、出社がなくなり「会社に遅刻する」という僕にとっての最大のタブーからは開放された。

遅刻が怖かったのは、人を信頼していなかったから

仕事で悩む

それにしても僕はどうして、あんなに遅刻に対して恐怖を抱いていたのだろうか?

世の中には遅刻に対して恐怖を抱いていないと思われる人がいる。いつも時間ぎりぎりに行動している人はおそらく遅刻に恐怖などないだろう。何か少しでもトラブルがあったら遅刻になるにもかかわらず、毎日ぎりぎりに行動しているのだから。いや少しは恐怖があるかもしれないが、その恐怖は「1分でも多く寝ていたい」という願望が圧勝するほど、些細なものなのかもしれない。

いずれにしてもギリギリに行動することなんて、僕には絶対できないし、とても羨ましい。なぜぼくはぎりぎりに行動できないのだろうか。

もちろん会社にとっては僕のような2時間前行動の人間のほうが安心できるのもかもしれない。それでも遅刻の重圧で退職してしまっているので、長い目でみれば僕のような人間は会社には不利益かもしれない。

それにしてもなぜ、遅刻に恐怖を感じ、ストレスを感じ、鬱的になっていたのだろうか。それは究極的には、人を信頼していなかったからなのではないかと思う。

「遅刻は良くないものである」という強い観念があったのは確かではあるが、僕は人の遅刻を許すことができた。やむを得ない事情であっても寝坊であっても、遅刻は仕方がないものだと考えており、他人の遅刻を許すことはできた。

それでも僕自身は遅刻に対して恐怖を抱いていた。それは多分、遅刻を許してもらえないと思っていたからだと思う。

僕は他人を遅刻を許すけど、おそらく他人は僕の遅刻を許してくれない。だから「遅刻をしてはいけない」と強迫的に考え、遅刻に恐怖していたのだろう。

僕は基本的に他人を信頼していないところがある。他人の遅刻を許せるのは、「時間に間に合うはずがない、遅刻することもある」と思っているからだ。期待していないともいえるかもしれない。

初対面の人であっても、「僕のことをよく思っていないだろう」とまず考えてしまう。仲良くしている人であっても、「何かあったら僕を見放すだろう」と常に考え、身構えている。

僕は他人を信頼していない。他人は遅刻もするし、約束も破るし、騙すし、見放すし、理不尽に怒るし、もしくはそもそも僕のことを気にもかけていないしと思っている。他人に何も期待していないともいえる。

僕の遅刻恐怖は他人に対する、この信頼のなさにあるのではないか。

遅刻したら、一方的怒られるのではないか、言い訳を聞いてくれないのではないか、と思っている。

もちろん、一方で他人は僕の遅刻なんてまったく気にもとめていないかもしれないが、そう考えることは当時に僕にはできなかった。

今でも僕は遅刻が怖い。だからやっぱり1時間前くらいに集合場所付近にいるようにしている。そして今でもやはり他人をあまり信頼していない。期待していない。あまり成長はできていない。

しかし僕みたいな人間が他にもいるだろう。そういった人が僕のように遅刻に対して恐怖をいだかないためにも、僕は遅刻を許せる人間でありたい。どんな理由であっても。